乗組員の中で唯一ヘッセルベルグ氏は航海の経験がありましたが、誰ひとりとして帆走の経験者はおらず、更にいかだ船の操縦については完全に手探り状態でした。こういった知恵はすでに数百年前に忘れられてしまっていたためです。ヘイエルダールはいかだの操縦方法も遠征中に試行錯誤を繰り返して得ることが出来るだろうと信じ、最終的にはフンボルト海流と東風がコンティキ号を間違いなく西の南洋諸島に導いてくれると確信していました。人類学者の専門家たちはいかだが目的地に無事到着する確率は低いものだと考えていました。バルサ材で出来たいかだ船ではせいぜい2週間ほどしか持たないだろうと予測し、この遠征自体がもはや自殺行為だと忠告した人々も少なくはありませんでした。