1982年秋のある日のこと、ヘイエルダールに郵便物が届きました。その中にはインド洋、モルディブで発見された正体不明の石像の写真が入っていました。その写真に写っている石像を作ったのが誰であったのかを調べるべく、ヘイエルダールは考古学調査を開始しました。
当時モルディブには1922年以降、考古学者は誰1人として足を運んでいなかったのでした。1983年とその翌年、ヘイエルダールは発掘調査を執り行いました。調査隊員は考古学者であり古くからの友人であるアルネ・ショルズヴォル氏を筆頭に、まだ年若い考古学者たち、オイスタイン・コック・ヨハンセン氏とエーギル・ミッケルセン氏も参加しました。この2人はその後、数回に渡ってヘイエルダールと協働することになります。
加えてヘイエルダールはインダス文明に影響を受けた太陽崇拝者がインド、スリランカを経てモルディブに達した可能性を示しました。しかしこの説は他の研究者たちに否定されてしまいます。ヘイエルダールを率いる調査隊は研究者たちを説得できるほどの証拠を見つけることはできなかったものの、紀元前90年のローマ帝国製のコインを発掘しました。ローマ帝国時代の書物にもモルディブについて書かれており、古代人がモルディブの存在を知っており、訪れていたことも明らかになっています。
モルディブでは貝貨として使われていたタカラガイの流通が古代から行われていました。タカラガイは北ノルウェーの鉄器時代の墓の中で発見されています。モルディブは古代の商船停留所の役割を果たし、商売のネットワークはアジア、そしてヨーロッパにも至っていたことがわかります。